岩谷宏『Linuxの哲学』ソフトバンク、2002年
なんとなく、本屋で見つけたので購入。
急いでいたので中身を見ずに買ったのだが、これはちょっと微妙な本だ。
少なくとも僕には必要なかった。
ただ、これからLinuxをかじってみたいとか言う人には非常に良い本なのではないかと思う。
昔あった『たのしいUNIX』(坂本文著、アスキー、1990年)(まだあるのかな?→ネットで検索したらまだ出版されているようだ。)という本に位置づけはにているだろうか?
むしろ、それのさらに入門版という位置づけをすれば正確かも知れない。
とにかく、「噂でLinuxのことを聞いた。興味がある。パソコンにはもっと詳しくなりたい」という人にはお勧めだ。
最近はハードに詳しくてもその進みがなんとなく日常の必要とかけ離れてしまっていて追いかけるのが結構苦痛だ。
(1.5GHzなんて普通いらんでしょ?)
ソフトにしても、WindowsはXPが最新だが、別に2世代前の98でも全く問題ない。
Officeなんて勉強する必要すらない。
(Excelは結構勉強する価値あるかも)
そうなってくると、「パソコンに詳しくなりたい」人にとっては、Linux(とかFreeBSDとかSolarisとか)しかないのではないだろうか。
ただ、そういう人が気軽に読める本というのはなかなかない。
その意味で、この本は良書だ。
日経新聞朝刊一面の左上には特集記事が組まれていることが多い。
記事は何回かのシリーズになっているのだが、今日は市町村合併の話題が出ていた。
今日は大阪府と大阪市の話を題材にしている。
大阪府としては、大阪市を府が直接管理する自治体として、「大阪都」構想を持っているということだ。一方の大阪市側は、府に対してより独立の度合いを高めた「特別市」になる方向性を目指しているようだ。特別市は、政令市よりも権限が広く、都道府県と同等の行政事務を行うことが出来るらしい。
僕の感想としては、心情的には大阪市に賛成。論理的には大阪府に賛成。というところだ。
どういうことかというと、僕は大学時代大阪市民だったが、その行政には特に不満はなかった。また、大阪府というのは破産寸前であるだけでなく、府内に多くの大都市を抱えており、その役割が不明確であるという印象を持っていた。そのため、どちらかといえば、府庁舎が大阪市内にある必要はないし、大阪市のことに口出しする必要はないと思っていた。それが、心情的に大阪市に賛成する理由だ。
一方、大阪府に賛成する理由は、確かに、大阪全体のことを考えれば、大阪市が大阪府と協力してリーダーシップを発揮する必要があるからだ。しかしながら、両雄並び立たずという言葉があるように、この両者が歩調をそろえて何かにぶつかると言うことはなかなか難しいことだ。
現に、記事の中でも指摘されていたように両者で似通った機能を持つ施設が隣接して設置されている現状もある。このようなことも、最低限の調整を行っていれば起こらなかったはずである。
大阪府と大阪市が大阪府政にリーダーシップを発揮するためにもっともわかりやすい方法が、大阪都構想だ。これだと両者がすりあわせを行う必要すらない。また、府と市が一対になることで、両者が持つ優秀な人的資源を有効に活用することが可能になる。これも好ましい影響だろう。
現実に目を転じてみると、大阪府が中心になって大阪都を作るという考え方はやはり実現が困難だろうと思う。これは、大阪府が財政的に破産寸前で非常に弱い立場であるからだ。また、大阪市側としては、こんな大阪府に吸収される筋合いはないと思っているだろう。自分たちが困ったからと言って、市を吸収しようとするというのはやはり筋の通らない話だ。吸収された市まで一緒に財政難に陥ってしまったらどうしようもない。
そこで残る方法としては(太田知事は考えてもいないと思うが)、大阪市が大阪府を吸収して、その事務を引き継ぎ、大阪都を実現することである。
これならば、実際に経営難に陥った大阪府の経営を大阪市が引き継ぐという形も整う。
あまりにも荒唐無稽な考え方だろうか?
市町村合併というのは、自治体の枠組みを再編すると言うことだ。
単に一部の市町村がくっついたり離れたりするようなことを意味するのではないし、それではまったく意味がない。
鹿児島でも、もう少し柔軟に前提条件をいったん白紙にして議論してみたらいいのではないだろうか。
Linux magazineに紹介されていたので、使ってみた。
インストールは、例によって、
apt-get install yudit
で完了。
日本語用の設定を書き加えて、起動したところ、問題なく起動した。
ドキュメントを読んでみると、TrueTypeフォントを使う場合には、さらに簡単で、
$HOME/.yudit/fonts/
以下に、TrueTypeフォントへのシンボリックリンクを作って、起動すればオーケーだ。
これで、とりあえずUnicodeを読み書きできる環境が出来た。
エディタとしては、まだ使い込んでいないので評価しにくい。
さて、yuditの特徴の一つに、手書き文字認識がある。
これは、デフォルトでは、F5キーに割り当てられているのだが、これを押すとウィンドウの下半分ぐらいが手書き認識エリアになる。
「坂田裕輔」と入力してみたところ、問題なく認識された。
ちょっと難しい字はだめな気もするのだが、まあ使えなくもない。
この機能だけ取り出せば結構おもしろいことも出来そうな気もする。
というわけで、yudit、おもしろいエディタでした。
なお、FAQの日本語版もあるのだが、日本語は微妙に変な気もしないでもない。
(サポートがサッポートになってたり。。。タイプミスかな?)
手に入れた。
相方が車を使う機会が多いようなので、僕はこっちで通勤。
昨年たてた徒歩通勤・自転車通勤計画はどうなったのだろう。
ちなみに、原チャリはリトルカブの黄色。
みんな盗まないでください。
今日の日経新聞の朝刊で神戸大学の加護野氏が次のようなことを述べていた。
「現実は理論通りには運ばないから、理論は現実の問題に対しては役に立たないと言う人がいる。役に立たないのは理論が間違っているからである。正しい理論は役に立つ。」
しかし、実際に理論は我々の目の前にある問題を解決してくれるだろうか?
いくら正しい理論であっても、それが我々の問題を解決できるとは思えない。
世の中には不確実性が存在しており、様々な物事が確率的な要素の影響を受ける。99%の確率で合格確実だと言われていても、やはり最後の1%不合格の可能性が残っている限りは安心は出来ないだろう。
また、実際に不合格になってしまった後では、いくら99%合格すると言われていてもなんの意味も持たない。「予測が外れた」という事実と「不合格だった」という現実だけが我々の前に残る。
そこでは、いくら理論が99%の合格確率をはじき出していても、彼の問題を解決することにはならなかったであろう。
一見、理論というものは問題を100%解決してくれるような便利なツールのように思える。しかし、理論というのはそういうことを目的としているのではない。理論は我々の前に存在する問題を解決してくれるのではなく、我々が問題に直面するための武器として機能してくれる。
つまり、この問題は、どういう性質の問題であって、どういう結果を招きうるのか、そんなことを整理するためのツールということだ。
そして、ツールで整理して分かったところまでの状況をもとにして我々は決断を下す。
このときには、理論でも分からない部分について、直感を信じて決断を下すしかない。
理論が正しければ、決断の結果生じた現実を受け入れることが出来るだろう。けれども、そもそも状況を説明する理論自体が間違っていた場合は、結果を受け入れることに抵抗があるのではないだろうか。
加護野氏も、理論というのは正しい理論であれば、個々の問題を分析する役には立つと言いたいのではないか。