学生の来る研究室
学生がよく来る研究室
研究室に学生がよく相談に来ます。
僕の職場は文系にはめずらしく、ゼミ室があり、ゼミに所属する学生は自由に出入りしてよいことになっています。
そこに僕がいると、学生が相談をもちかけてきます。 (もちろん、普段は来た学生もそれぞれ好きなことをしています。時々雑談をする程度です。)
大学の教員は教育と研究が本分なのだから、学生の相談はできるだけやるべきではない。そんなことをする暇があれば、研究しろ!的な意見もあるでしょう。
だけど、僕は学生との相談こそ、教育のメイン部分ではないかと感じています。講義よりも重要だと感じています。つまりは、学生を育てる大きなきっかけだし、大学の最大の魅力でもあるのです。
僕はそう考えて、相談も大切な仕事だと思って取り組んでいます。 それに、嫌がったところで、相談にくるものは仕方がないので、自分にもメリットがあるように活用しています。
よくある相談
学生の相談はいくつかに分けられます。
一番多いのは、話を聞いてほしいだけのものです。うんうんと言いながら聞いていると、すっきりして帰っていくパターンです。 このなかには、決断を後押ししてほしいというタイプもあります。
次に多いのは、どうしていいか判断できないので、教えてほしいというものです。これは、代わりに判断してほしいというよりは、判断の材料が欲しいというケースです。二つ内定もらったけど、どう決めたらいい?というようなものです。
僕からの手助けが欲しいという相談もあります。なにか取り組みをするからサポートしてほしいっていうのはうれしいですね。 授業が分からないから説明して欲しいというのもあります。
困るのは、「答えを代わりにみつけてほしい」「代わりに○○してほしい」などの相談です。 大学は考えかたを学ぶ場です。答えを代わりにみつけてしまえば、学生の貴重な学びの機会を奪うことになります。
ましてや、僕は代行業ではありません。相談以外の自分の時間を使って学生からの頼まれごとをすることはしません。そういうのは、自分でやるか、専門の業者に依頼するべきです。
相談への対応方法
対応で意識すること
学生の相談は単なる雑談ではありません。彼(女)らが話しをしに来るにはそれなりの理由があります。 大半は、特になにかをする必要があるわけではなく、話を聞いていればよいのですが、まれに危険な兆候が潜んでいます。
そして、この危険な兆候はできるだけ早く摘まねばなりません。 僕が学生の相談を積極的に聞いている最大の理由はここにあります。
危険な兆候を野放しにしておいた結果、学生の人生が台無しになってしまうこともあります。せっかく大学に入ってきてくれたのに、これではあまりにも悲しいです。だから、そういうことにならないよう、大学の教職員はチェックする必要があります。そして、そういうことができる大学こそが、今、必要とされている大学です。
相談の第一段階として、危険な兆候を見つけ、専門家に引き渡すということがとても大切です。危険な兆候のケースは教員が対応することではありません。必ず、専門家に引き渡してください。じゃないと、自分が大変なことになります。
学生の相談から危険な兆候を見つけるには、メンタル面での問題、事件に発展する問題の二点は注意しなければなりません。 なお、事件には、家庭でのDV的なものも含まれます。
メンタル面の問題は特に、一教員の手には負えませんし、責任問題に発展する可能性もあります。ですので、速やかに専門家に引き継ぐことです。 以前、そういうケースがあったのですが、無理やり精神科に行かせたら、数週間で大幅に回復しました。
事件の方は、詐欺事件やねずみ講が多いです。社会経験のない学生が多いので、「経験豊富に見える大人」から頼られると、自分がやれることがある!と思うのでしょうか。ついその気になって、犯罪と知らずに、犯罪の片棒を担ごうとする人がけっこういます。
聞いてほしいだけ
学生が来たら、そんな危険な兆候がないかなと思いながら、相談を聞きます。 そうすると、相談の大半は、話すだけ話したら満足して帰っていくケースが大半だということに気づきます。
そんなん、友達に話せよ、と思います。でも、話すだけで本人が納得するならそれでよいのでしょう。
そういう話を教員にする人は、いざ困ったときもやっぱり友達には話せないでしょう。そんなときに、「あのときに、話を聞いてくれたなあ」ということを思い出してくれることを期待しています。
それに、話を聞いて問題が解決するのであれば、それで学生の満足度は上がるでしょう。学生満足度の向上はよい大学の重要なポイントです。
手助けがほしい
うれしいですね。
何をして欲しいのか、しっかり聞くことにしています。
あまり勉強したことがない学生の多い大学では、「授業が分からなかったので、もう一度全部説明してほしい」と言ってくる学生もいます。「テスト範囲を教えてほしい。そしてその内容をもう一度解説してほしい」というのもあります。
この手のものは、基本的に、勉強は自分でやるものだ、それで理解できない場所があれば聞きにおいで、と諭して帰します。 相談と甘え・怠惰は違うと思うのです。
レポートや論文のテーマを決めてもらおうとする学生もいます。これに対しては、「テーマ決めが一番大切で、一番勉強のおもしろいところだ」と諭します。
自分達でプロジェクトをやりたいから、サポートしてほしいという相談はうれしい相談です。そういう相談に対しては、学生が何をするのか、教員はなにをするのかも含めて話していきます。
代わりになにかをしてほしい的なものは、我々の本業ではないときちんと伝えています。
教員の仕事なのか
さて、こんな感じで学生の相談にのっています。 僕のばあいは、新規の相談が週に1ー2件、1時間程度です。
継続して話しにくる学生の対応はあまりカウントしていませんが、2ー3時間だと思います。
こういう時間を貴重な業務時間にとられるのは、と及び腰な方も多いと思います。僕のように積極的に学生と話す教員は少ないのは知っています。
だけど、カウンセリング未満の雑談の受け皿をきちんと作っておくことで、学生が勉強や課外活動に集中できます。それなら、むしろ、大学全体の雰囲気が改善して、授業がやりやすくなります。学生が成長し、就活サポートが楽になります。それが高校に伝われば、学生募集が楽になります。
全体に職場がよい方に回りはじめるのです。 そう考えれば、実は、業務改善のためにも、相談能力の強化はとても貢献します。 そして相談能力は誰でも強化できるのです。 学生の問題を解決する必要はありません。ただ話しを聞いて、必要に応じて専門家に引き渡すだけです。
未来の大学
オンラインでの教育が充実するなかで、講義室で一方的に講義する形の授業はやはり、受け入れられなくなるでしょう。 そこで大学はどんな形で生き残るのかという模索が行われています。
教員個人にとっても、学生にオンラインの講義と自分の講義を比べられるのはかなりプレッシャーです。
長いキャリアのなかで、自分の強みはどこかを考え続けることが求められています。
僕は講義の場が学生相談の場になってもよいのだと思っています。卒業までに学ぶことが明確になっていて、各自がそれに取り組んでいるのなら、講義の役割は授業ではありません。学生のペースメーカーです。 その時点での学びの障害を取りのぞき、学びを促進する役割、それが教員の仕事だろうと感じています。 学びの障害の多くは専門的な科目の内容でしょう。そこに我々の存在意義はあります。けれども、そこにとどまらない、小さなつまずきも日常的に取り除ければ、学生は自分からどんどん進んでいきます。 そんなことができる環境を大学につくることが、僕の存在意義だろうなと思うのです。
じゃあ、研究は?となりますが、大学教員は研究者でなくてもよいと僕は思っています。 やりたければやればいいし、僕自身はやります。 だけどそれは、大学に評価してもらうことではないです。学会や社会で認められればよいのです。 外部で資金を獲得し、それで学内の業務を行なう資金に振り向けることができれば、研究に集中する環境もつくれます。 が、その話はまた別途やりましょう。