作業中にミスをして、旧ブログのデータを壊してしまいました。
再構築するのもいいのですが、再発する可能性があるので、安全な場所に対比しておくことにします。
というわけで、旧「ときどきエコ」は、以下のURLをご参照ください。
https://tokidokieco-archives.netlify.com/
※ 画像は移行できていませんので、エラーになると思います。
気が向いたら移行します。
作業中にミスをして、旧ブログのデータを壊してしまいました。
再構築するのもいいのですが、再発する可能性があるので、安全な場所に対比しておくことにします。
というわけで、旧「ときどきエコ」は、以下のURLをご参照ください。
https://tokidokieco-archives.netlify.com/
※ 画像は移行できていませんので、エラーになると思います。
気が向いたら移行します。
少々残念な話だけど、フェアトレードの食品が美味しくないという話をここ最近、何度か聞いた。
これ、事実でもあり事実でなくもあり。
あたりまえですよね。
商品自体の魅力として、FT商品を評価するときに、絶対的な品質と価格、両者のバランスを見ます。
おそらく一番良く見るのは、バランス、いわゆるコスパですね。
FT商品のコスパが悪いのは、FTプレミアムだけではなく、生産者・仲介者・販売者がすべて小規模で規模の経済性が働かない点もありそうです。
この点は、大企業ではなく小規模企業からものを買うことで地域に落ちるお金が大きくなるという意味もあります。
でも、FT関係者と話をしていて感じるのは、彼らはコーヒーやチョコレートの味をけっこう知っていることです。
おいしいものを知っている人が高品質の商品とFTを比較している。
原料の質には、3点が影響します。それは、農作物としてのカカオやコーヒー豆の質と、それを出荷するまでにどのような工程を経ているかです。今回は加工工程だけに着目します。その他のことはまた別の機会に。
選別は、豆に虫食い豆などが含まれないようにするものです。虫食い豆等が0.1%含まれているだけで味覚に影響するという人もいますから、とても重要です。同時に、この工程、手作業の割合が大きいです。それなりの規模の工場ではレーザー等でチェックすることもありますが、最後はやはり人の目と手が頼りです。つまりは、ここを省力化すればコストダウンは可能だろうと思います。
選別がどの程度味に影響するのか。。。
試したことはないですけど、一般人にとってはほとんどわからないレベルだと思います。
通常は、輸出段階である程度選別してあります。そのため日本に入ってからの選別は、一般商品の場合はあまり差がつきにくい部分です。
コーヒーの味の大半は作物の品質と焙煎が決めるのだと思います。特に僕のような普通の舌の人であれば、実は味覚に最も影響するのは、焙煎後の経過日数だと思います。日数が経って参加した豆はまずいです。というか、焙煎して数日の豆の香りがコーヒーの大きな魅力です。
さて、焙煎工程。原産国で焙煎する場合と消費国で焙煎する場合があります。ちなみに、イタリアなどで焙煎したものを日本で販売する例もありますが、今回はパスです。原産国で焙煎するものは、どうしても焙煎後の日数が経過してしまいます。一方で、次の2つのメリットがあります。人件費の安い途上国で焙煎すること、焙煎で重量が10%程度失われるため輸送費が安くなることです。
みなさんは、プレゼンテーションの練習をしているだろうか。
僕は仕事が大学の教員なので、けっこうしている。
授業が練習!という意味ではなく、授業や学会を想定した練習を別途行なっている。
授業の練習や学会発表の練習を日々行なっているという意味だ。
プレゼンテーションといえば、TEDだ。
TEDには、いろんなスタイルのプレゼンテーションが掲載されている。
共通するのは、内容がとてもおもしろいこと。
伝えることさえおもしろければ、プレゼンテーション自体のできはどうでもいいといわんばかりだ。
そして、それは案外正しい。
大した内容ではないものは、よほど技術がなければ、興味を持って聞いてもらえない。
講義に話を戻すと、90分間、意味のある内容を話し続けるのは相当大変だ。
ましてや、それを15回も続けるのだ。
90分の講演を1回だけするのとはわけが違う。
その違いは、職人が寿司を握ることと、家庭でこどもが手巻き寿司を握るくらい違う。
ちょっと大げさかな?職人ずしと家庭で手慣れたお母さんがお寿司を握るぐらいのさかもしれない。
そこで、内容を3分の1くらいに減らして、その内容をていねいに説明することにした。
中身の薄さは、プレゼンテーション技術でカバーする。
そうなると必然的にプレゼンテーションが重要になる。
iPadProとか、Galaxy Note9、Huaweiのスマホ、Apple Watchなどなど、新しいデバイスが出てきて、物欲が刺激される。
ただ、これほしい!となっても実際に購入には至らず、2年前のスマホ(Huawei P9)を使い続けている。
どうも、デバイスを変えても、生活に変化があるように思えない。いろいろと新しい機能はあるけれど、それって今のでもできるよね?的な感じ。
顔認証は便利そうだけど指紋認証で別に困らないし、カメラ性能がアップしたと言っても、今のでそんなに不満はない。
2年使ったから、そろそろ買い替えたいなあとは思うものの、「変えないと困る」というほどではない。
どういうものが僕らの生活を変えるのか、というとそれはちょっとわからない。おそらく、どこかの天才によるひらめきで、今までになかった提案がもたらすのだろう。
そんな半分諦めに似た気持ちはあるのだが、いちおう、これから先のウェアラブルデバイスについて考えてみたい。
まず、過去を振り返ろう。1970年代と現在では、ウェアラブルデバイスは大きく変わっている。この間、ウォークマンの発売を契機に、ポケベル、ケータイ、スマホとデバイスは進化してきている。
それ以前には、スピーカーと片耳につけるイヤホンがついているポータブルラジオがせいぜいだった。
ウォークマン以降は、自宅とあまり変わらない音を持ち運ぶことができるようになった。
電話もそうだ。
カメラも大きな一眼レフか、コンパクトカメラのかなりの部分がスマホで置き換えられるようになった。
もともとが、素人が撮る写真だ。大半がピンぼけだったり、後で見ると何が撮りたかったのかよくわからないものだ。
多少レンズが小さくなっても、まあ、これで十分と言えるものになってしまっている。
テレビはどうなのだろうか。
筆者は出先でテレビは見ないし、スマホで動画も見ない。
ただし、タブレットで動画は見る。
むしろ、自宅でもタブレットで動画を見てしまって、テレビの出番が全然なくなっている。
これから大きく変わるのはどのへんなのだろうか。
まず、VRゴーグルが販売され始めている。
あれはものすごい技術だと思うが、どの程度普及するのだろうか。
動画を見れば確かにすごいけれど、VRゴーグルで動画を見る=動画に集中するということだ。
集中して動画を見ている人は世の中にどのくらいいるのだろうか。
作業の傍ら流しっぱなしの人、動画を見てはいるけど、おやつを食べるなど、途中他の何かをする人も多いだろう。
そうすると、それへの集中を強いるVRゴーグルは、日常には浸透しない。
イヤホンはといえば、両耳ワイヤレスが普及し始めている。これはとても有望だと思う。
これに、体温発電の技術が組み合わされば、ほとんどつけっぱなしでいられる。
イヤホンをつけっぱなしでいられるようになると、さまざまな可能性がひらけてくる。
まずは通知系の役割だ。
入力デバイスが取得した情報を活用したさまざまな情報を通知できるようになる。
音声だけではなく、バイブレーションによる通知が組み合わされれば、最強だろう。
入力デバイスはどうか。
入力と言ってもいろいろなものがある。
スマホを使った、電波経由のもの、周辺環境、自分の体などだ。
周辺環境のセンサーは、ウェアラブルになっていく可能性が高い。特に、メガネなどにカメラなどを仕込む方法はもうすぐ普通になるだろう。
体に関するセンサーも、さまざまなものが考えられる。今は腕時計型デバイスが主流だが、いずれは体内に埋め込む型が主流になるだろう。
電波経由のものは、どうなるかちょっと見えない。
ディスプレイが使いやすい気もするけれど。。。
もう少ししたら、2018年の10大ニュースが出てくる時期だ。
それに便乗して同じことをしてもつまらないので、今、大切だと思う問題をまとめておく。10大ニュースならぬ、10大問題。順位は今のところ適当。
毎年、一年間の動きを整理して行くとおもしろそうだ。
格差は産業革命・明治維新後、縮小傾向にあった。
その傾向が近年、少なくとも弱まっていると言われている。
格差を縮小させる力よりも、格差を拡大・固定化する力が上回ってきているのかもしれない。
格差が縮小せずに固定化すると、下の階層に生まれ育った人が夢を持てなくなる。
将来に期待せず、生きられるように生きるというのも1つはありかもしれない。でも、なんとなく寂しい。
経済学・政治学的には、若い人が夢を持てなくなるのは、社会の活力を奪うことだと言われている。
だから、「若者よ夢を持て」という人もいるけど、それは違う。
夢を持てる社会だったら、放っておいてもみんな夢を見る。
夢を見ることができない社会だから、夢を見なくなった。
自然な流れとして、格差は縮小するものなのか、拡大するものなのか。あるいは、階層間の移動は流動的なものなのか、固定化するものなのか。
格差の拡大・固定化が自然な流れなのだとすれば、よほど慎重に政策を作らないと、めざす社会は作れない。
これは誰かが取り組むべき問題だ。
経済が大都市中心になっていっている。
地方はどうなってしまうのか。
若者も企業もみんな都市に行ってしまう。限られたチャンスが都市に集中してしまっている。
地方は過去の蓄積に生きる。
蓄積がなくなった地方から、衰退していく。
そんなの寂しい。
けれども、より大きな都市に人や経済が吸い寄せられるのは、しょうがないことだ。それを逆転させることは、簡単ではない。
政府が国の形のグランドデザインをきちんと描いて、そのとおりに実行することが大切だ。
環境問題は基本的に技術と政策が解決すると思う。しかし、その技術に投資する意思決定をするのは人々。
人々の社会への関心が薄れているのだとしたら問題。
人々は環境問題に「慣れて」しまっていると思う。
日本の財政だけではなく、現代の国家の多くは財政赤字に苦しんでいる。
これをどうすればいいのか。
(僕を含めた)経済学者は安易に増税を口にするが、無駄遣いをなくさない限り赤字はなくならない。
インフレが借金を縮小し・帳消しにするとは言うものの、そんな世の中が来るというのがちょっと考えにくい。
化石燃料の枯渇と気候変動への対策で化石燃料が使えなくなる。
代替エネルギーは社会を支えることができるのか。
少し前までは、化石燃料の枯渇が問題だったが、今はそうでもない。
気候変動への影響を考えると、あるのに使うべきではないとの認識が広がっている。
安価で入手しやすいエネルギーが目の前にあるにもかかわらず、別の手段を探せというのは、自然に反する。
国際社会は、それを成し遂げることができるのか。
人々の差別意識はなくならないのか。
いつでもどこかで戦争が起きている。
SNSの利用などで、社会がセグメント化されていく。
人の暮らしはどうなるのか。
多くの人が労働に生きがいを感じているのが現代。
AIやロボットが仕事を奪うと、生きがいを何に求めればよいのだろうか。
トマス・モアのユートピアでは、労働の必要がなくなった人々は芸術・創作に楽しみを求めた。
そのような社会が来るのだろうか。
通信教育で十分な時代。学校に行く意味はどこにあるのか。
教育とは何かが問われる時代。
いろいろあるなかで、10個だけあげてみた。これらを長期・短期の視点から分けていくことで、これから考えるべきことがわかるかも?
基本的に、政策というのはマクロ的・長期的視点でまず考えるものだ。それをまず分類したうえで、「間に合わない」ものごとを個別に解決していく。それがなければ、いつまでたっても場当たり的な対策を取らざるを得ない。
Dynabookというコンセプトを初めて聞いたのは高校生の時だったか。購読していたパソコン雑誌の記事で紹介されていた、夢のハンドヘルドコンピュータのことだ。
アランケイが提唱した小型の持ち運び可能なデバイス。
これがあれば、紙はいらなくなるんだ。
そんな夢を見た。
僕の夢は新しいデバイスを買うたびに破れている。
けれども、ペン入力可能なタブレットはかなりその夢に近い
ペーパーレスにはまだ遠いけれど、かなりいい線いっているのではないかと感じている。
特に、今使っているiPadPro+Cardflowの組み合わせは相当いい感じだ。
動画を見たり電子書籍を読むのにもタブレットはとても便利なんだけど、やはり本来の魅力は手書き入力にある。
なにか考え事をするときに、キーボードに向かって入力するのは、なんだかちょっと違う気がする。
僕はペンを持って思うままにいろいろと書いているうちにアイデアが浮かんでくる。
そのために紙が便利だなと思うのだけれど、ペーパーレスに対するあこがれがあってできればデバイスで入力したい。
この辺は、世代なのかもしれないし、環境問題を研究しているからかもしれない。
何度かペーパーレスに挑戦したけれど、キーボードを使うものは頭の使い方が根本的に違うようで、発想法には向かないと思う。
かといって手書き文字認識も違う。
レイアウト自由でフリーハンドに書くことがベストのようだ。
最後の項で紹介したように、いろいろなデバイスを使ってきたが、いろんなデバイスを僕はiPad+Cardflowを使っている。
ペン入力デバイスとして、何がいいのか?というと、今はiPadがよい。
では、アプリは何がいいのか?ということになると、GoodNotesとCardflowがおすすめだ。
GoodNotesはPDFを読むときにメモを書きこみながら読めるのが快適だ。
ただ、頭の中を整理するときに、KJ法的にやりたいなと思うと、GoodNotesはちょっと違う。
ラフにメモを書くのはいいけど、整理しにくい。
書いたものをならべて、「これとこれが近いな。いや、これはこっちか。」と、やりたいのだ。
机とふせんでやってもいいけど、机が狭いとか散らかってるとかだとなかなかできない。
おまけに、できあがったレイアウトをどう保存するのか?という問題もある。
そんなときに見つけたのが、Cardflowだ^1。
Cardflowは思いついたことをどんどんカードに書き込む。
そしてそれをボードの上で見ながら、並べ替えていく。
ある程度気に入ったものになったら、PDFにエクスポートしておく。
プレゼンテーションを作成するときなどは、その画像をみながら、スライドをつくっていく。
スライドの細かい作り込みは後で行う。
こんな感じで進めると、構成がしっかりしたパワーポイントを作ることができる。
Cardflowはテキスト入力もできて、それを出力することもできる。
「僕は手書きで思いつくまま」を重視しているのであまり使わない。
手書きに夢を託して20年近く。
僕はこれまでたくさんのツールを使ってきた。
紙を置き換える存在になるかな?と期待しているのだけれども、なかなかそうはならない。
古くはPalm。
これは手のひらサイズのモノクロ液晶を搭載したツールで、いわゆるPDAの走りとなったものだ。
小さなペンで落書き的なメモをすることもできるし、文字を入力することもできた。
かなり運用したのが、東芝のAT703だ。
Androidを搭載していて、ペン入力を独自に実装しているようで、ほとんどストレスなく手書きができる。
AT703でMetamoji Noteが最強かなと感じていたが、OSがバージョンアップされないので使わなくなってしまった。
ASUSのペン付きのものも買ってみたが、これはなぜかペンの電池がすぐに切れる。ペンは単6で出先でまず手に入らない。
最悪なことに、ペンのネジがずれているのか、電池交換のたびにイライラしてしまう。
というわけで、ペンをまず使わなくなってしまった。
Androidと並行して、PCの手書きもいくつか試した見た。
いわゆる中華PCのCube i7も良かったけれど、MicrosoftのSurfacePro3はかなりいい感じだった。
が、個体差なのか、ペンとの接続がかなり頻繁に途切れるのでストレスが大きくて使うのをやめた。
ToshibaのDynabook V82は今でも使用している。
こちらはペンとの接続が切れることもなく、快適だ。
このPCをうまく運用できれば、MacとiPadを持ち歩く必要がない。
そんな期待もあるのだけれど、どうも使わなくなってしまう。
今では講義時のパワーポイント再生機という位置づけだ。
Windowsをもう少しうまく使えたらいいのにな。。。と思うのだけれど、なかなか慣れることができない。
もったいないとは思うけれど。
時間をつくってちゃんと使えるようになりたいところだ。
今主に使っているのは、Cardflowを紹介したように、iPadProだ。
これは起動も早いし、ペンも充電式だ。充電式のペンは、出先で電池ない!となってもすぐに充電して使える。
手書きもストレスがなくて、ほんとにいいマシンだと思う。
息子にiPad2018を買ってやったが、これもPencilに対応している。こちらでも十分だと思う。
唯一、日本語入力をカスタマイズできないので、AZIKに対応できないのが難点だ。
でもまあ、iPadで文字を入力することはあまりないので、これは諦めている。
できれば普段持ち歩いているMacとiPadを1つにしたいなと思っているので、Macが手書きに対応すればベストだ。
けれども、Appleは手書きに対応する気はないようだ。
別に書きたいと思うけれど、iPadはアイデア整理にはとても良いけれど、勉強時のメモ書きには使いにくい。
iPadをPDFのビューワーとして使うと、メモは紙に書かなければならない。
それをどうするかが目下の悩みだ。
iPadの2台持ちが実はベストなのかもしれないけど、それもちょっと変な人かも。
15分だけのつもりで、サイトの設定を行った。
かかった時間は15分ぐらいだったが、その後遊んでしまって、1時間近く消費。
ぱっと切り替えないとね。
今回、ブログへのコメント機能、Twitter、Facebookへの更新通知をつけてみました。
ここまでできれば、他のサイトとの連携は難しくないので、必要に応じてやっておきます。
ブログに書いたことをFacebookにシェアする必要があるのか?というとどうなのかな?とは思います。
せっかく書くのだから、知り合いだけではなく、全世界に発信したほうがよかろうと判断しました。
つまり、考えたことについては、ブログに書くようにします。
極私的な話は、Facebook使うかもしれないですけどね。
あんまりコメントしてくれる人いないけど、いちおうコメントを受け付けるようにしてみました。
DisqusというWebサービスを使っています。
Spam判定とかもできそうですし、Facebookなどとの連携もできるみたい。
おいおい使いながら勉強してみます。
サイトの更新がTwitterに通知されるようにしておいた。
IFTTTを使って、RSS(Atom.xml)が更新されたら、通知されるようになるはず。
たぶん、できたと思う。
これもIFTTT経由で連携することにした。
Facebook Pageしか連携できないような感じもあるので、正直、微妙。
他の方法も探したほうがいいかもしれない。
9月末で、長く続いてた学科長生活が終わりました。
2008年から、しばらくの中断を含んで、8年間の任期でした。
もう、しばらくは出番なさそうなので、ゆっくりとできそうです。
学科長というのは、企業で言えばどのぐらいの役職になるのでしょうか。学科の長という文字通りの意味と、学部を運営するメンバーの一人という役割を持っています。
そして、少しずつ学部の自治は失われているものの、学部はかなりの独立性を持っています。
そう考えると、だいたい事業部の中心メンバー、課長ぐらいの位置づけなんでしょうかね。
そこで僕は、過去から蓄積されているが役割を終えていると思われる無数の仕事をリストラすることを主眼において来ました。
なんとなく惰性でやっている仕事とか、前任者がやりたくてやったけど、今は誰も積極的にやっていない仕事などを終わらせることです。
こういうものが残っていると、「いつかはやらねば」と奥歯にモノが挟まったような気分がずっと続きます。
それが嫌なので、終わらせるという決議を会議で1つずつしてきました。
どんな組織でも、過去の遺産的なものはけっこうあるもので、それを整理するのにはそれなりの調査や時間が必要です。
だから、学科長としてこういう仕事に手を付けると、あまり新しいことはできなくなります。
ほんとうはやりたいことがたくさんあったのですが、それほど手がけることができなかったのには、そんな事情がありました。
もちろん、学科長として残務整理と交通整理だけをしてきたわけではありません。
新しいこともそれなりに手がけてきました。
ただそれは、「前任者が勝手につくった」と言われないように注意しました。学科全体であるいは学部全体で取り組むものになるよう、基礎をしっかり固めて来ました。
発想の段階で異論をできるだけ聞きながら、でも本質は変えないようにしながら制度設計をしてきました。
一部の人が考えるように、「意見が出ないように作り込んでから発表する」というのとは本質的に発想が異なります。
できるだけたくさんの異論が出ることで、多くの人の考えを知ることができますし、意見を言った人は結局協力してくれます。
場合によっては、提案を引っ込めることもありました。
無理に押し通して実行することは簡単なのですが、実施してもみんなが協力しないのであれば意味がありません。
その辺は、決めたら組織として動く企業と、個人の集まりの大学との違いかもしれません。
僕は自分が管理職である以上、組織で取り組む事業は、組織として動けるようにしたかったのです。
さて、学科長と一般の教員の違いとは何でしょうか。
それは、学科長がルールを作ることができる存在であることだと考えています。
今までみんなが当たり前のように思っていたルールに直接働きかけて変えるきっかけを作ることができるのです。
たとえ、学部規定でも、変更を運営会議で提案することができます。
教授会で大勢の中で提案するのとは違って、学部の限られたメンバーに向かって提案できるので、意見が通りやすいのです。
「え?そんなことできるの?」
とみんなが思ったことも提案してルールをつくってきました。
例えば、教授のみからなる教授会と、常に講師・准教授がオブザーバーとして参加する全体会議があります。以前の職場では、教授会がデフォルトで、全体会議はめったに開催されませんでした。
ちなみに、全体会議で講師・准教授は意思決定に参加できないだけで、意見を述べることはできます。
僕は教授の意見よりも、若手の講師・准教授の意見のほうが時代の要請に敏感だと感じています。
そこで、あまり意味を見いだせない教授会ではなく、全体会議をデフォルトにしました。
また、教員の控室を談話室に変えるべく、外部の業者を呼んできてコーヒーサーバーを設置したりもしました。
あるいは、学生を外部に連れて行って現地で調査をするフィールドワークという講義を以前の職場で立ち上げました。
事務との折衝がかなり必要でした。現地の大学と交流したり、自然体験学習を取り入れたり、さまざまな取り組みを導入しました。
などなど、取り組んだことはかなりあります。
そこに共通するのは、既存のルールの中で何ができるかではなく、ルールを変えると何ができるかという発想で取り組むことができたことです。
管理職につくのを嫌がる風潮があると聞きますが、僕は管理職、そんなに悪いものではないと思います。
むしろ、管理職になって、積極的にルールを想像していくことが大切ではないかなと感じます。
論文や雑誌の原稿を書くときに嫌なことってなんでしょうか。
僕は校正なんですよね。
特に、内容の見直しではなく、表記の揺れや誤字を探して直す作業。
プロの人ならそれはもうすごい校正をしてくれます。僕が自分でやると時間ばかりかかる割に間違いを見落とすという、残念な結果になりがちです。
Wordだと、ある程度チェックしてくれるのですが、いつもWordを使うわけではありません。
多くの場合はテキストエディタで書いてから、Wordに貼り付けています。
そこで今回は、テキスト執筆時にある程度校正できないか?しかも自動でということを考えました。
文書を自動校正するツールとして、RedPenがあることは以前から知っていて、いつか導入しようと思っていました。
いつかというのはなかなか来ないもので、もうすっかり忘れていた頃、ついにチャンスが来ました!
コペンハーゲンのホテルで、時差ボケなのかわかりませんが、全然眠れなかったときのことです。
突然、「これからRedPenを入れて試してみよう」と考えました。
RedPenはJAVAで書かれているツールです。残念ながら、僕はJAVAがわかりません。
どうも大掛かりな気がして、なかなか手が出ないのです。
それでどうしようか悩みつつ、活用方法に関するサイトをネットサーフィンしていました。
同じような目的を叶えるツールに、Textlintというものがあるらしい。しかもこれはJavascriptで動くというのです。
JAVA対Javascriptと考えると、JAVAの圧勝ではないかと思うのですが、評判も良いので使ってみることにしました。
いや、これは便利でした。
しかも、emacsとの相性も良くてemacsのFlymake、Flycheck経由で使用できます。
文章を書いていると、適当なタイミング(改行とか?)で、勝手に校正をしてくれるのです。
エラーがあれば波線で教えてくれますし、カーソルを持っていけばエラー内容をポップアップで教えてくれます。
世の中進歩したものです。
少し使ってみると、どうも一般的には数字は半角というのがルールのようです。
僕は基本的に数字は半角を使うのですが、1文字だけのときには全角を使っています。
コンサルでバイトしていたときに、自治体向けの文書はこうするのだと教えられて、それ以来身についています。
Textlintを使うと、これをいちいち指摘されるようで、ちょっと面倒です。
チェックのためのルールは自分でも作れるそうなので、作ってみようかな?とも思いましたが、念のために下調べをしました。
調べてみるとこんな事が書かれているサイトがあります。
各社ごとに表記ルールは異なりますが、英数字の表記に限定すると
①英数字は、すべて半角文字とする。
②英数字は、基本は半角文字とする。
ただし、1文字(1やAなど)で使用する場合は、読みやすさを考慮して全角文字を使用する。
の2パターンだと思います。
(出所:「文章中の英数字の表記は、半角が正しい? - MGAスタッフブログ」、https://moha.macgraphic.co.jp/blog/archives/7110 )
ここでも結論として、半角を使ったほうがいいとされています。
しかも、等幅フォントならあまり気にしなくてもよいのだとか。
等幅フォントを指定すれば、1桁の英数字を全角にしなくても、問題解決です!
(出所:「文章中の英数字の表記は、半角が正しい? - MGAスタッフブログ」、https://moha.macgraphic.co.jp/blog/archives/7110 )
なるほど、(等幅フォントとプロポーショナルフォントの違いがわからないながらも)納得しました。
というわけで、ルール作りはなし。
自分のルールを変えることにします。
2018年9月26日から28日までコペンハーゲンに3日だけ滞在しました。
ちょうどいいチケットがなかったこともあって、福岡からは24時間の旅です。
どっぷりと疲れて、これから入国審査に並ぶのかよ。。。とげんなりしていましたが、入国は一瞬で、飛行機降りて15分ぐらいで荷物受け渡しのゾーンへ。
荷物はなかなか出てこなくて、15分ぐらい待ったかなあ。
ただ、その間、両替をしたりコンビニ的なお店でちょこちょこ商品を眺めたりして、暇をつぶすことはできました。
日本の空港、受け渡し所にお店ってあるのかな?
税関は「申告なし」の場合は、出口に向かうだけです。
出口が一方通行になってなければ、国内線の出口か?これは。
というレベルのフリーさです。
で、もうデンマークです。
電車のマークに向かって歩いて、地下鉄に乗る。しばらくしたら、ホテルの最寄駅で降りて、ホテルにチェックイン。
楽々です。
ホテルのすぐ横に、Fieldsというショッピングセンターがあったので覗いてみることに。
見事なまでに英語がありません。
店員と話すとみんな流暢な英語ですし、レストランで英語メニューをお願いすると、しっかりしたものが出てきます。
商品の説明とかは、デンマーク語オンリーです。30クローネ割引なのか、30クローネになってるのかわかりません。。。
ほとんどの値札が液晶になってて、1ついくら、3つでいくらとか表示できるのは便利です。
物価は高い!
日本の感覚の2.5倍ぐらいではないでしょうか。
オーガニックっぽいハンバーガー屋さんでバーガーとケールのスムージーを頼んでみたら、5000円ちょいとられました。
こういうの、日本だと1500円ぐらいじゃないかなあ、高くて2000円。
食材はそこまで高くなくて、日本の2−3割増しぐらいというところ。
どこかのブログで、1DKK=17とありましたが、今は1DKK=25円ぐらいです。円がかなり弱くなっているようです。
物価の差というよりも、円安がかなり影響している感じです。
ただ、高いのはコペンハーゲンだけじゃないはず。
以前から、ヨーロッパの物価はだいたい日本の感覚の2倍ぐらいという印象です。
ここ最近行っていないので、今は2.5倍位になっているのかもしれません。
傾向として、スーパーはそこまで高くなくて、レストランが高いです。
人がサービスしてくれる業態は高い=人件費が高いということなんじゃないかな。
あー、そういえば、昨日はチップ渡すの忘れたな。
細身で入れ墨のお兄さんですが、帰るときはすごいいい笑顔だったんですけどね。
メトロと空港行きの電車に乗っただけなんであんまり大したことは言えないです。
時間には正確な印象でした。
地下鉄の優先座席は、身障者・妊婦さん・大きな荷物を抱えている人・自転車が対象でした。
車内はとてもきれいで、乗っていて、日本との違いを意識することはありません。
行き先の表示もあるし、現在の駅も電光掲示板で表示されています。
英語メニューをもらう限りは特に問題ありませんし、表記からなにかだいたい予想がついたりもします。
ただ、買い物の項でも書きましたが、高いです。
慣れないとこれはどうしようもありません。
食べ物的には、フードコートには、ハンバーガーとサンドイッチなどが多いです。もちろん、イタリアンもありますし、お寿司のようなものもありました。
有名なオープンサンドイッチを食べようかと思いましたが、お腹が空いているタイミングで店に出会えませんでした。
昔だったら、いくらお腹いっぱいでも挑戦してたと思いますけどね。
そこまでの欲望がなくなったというか、まあ次でいいやと思ってしまうようになりました。